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びりぎゃるすね。

続ける。

これが一番難しい。

何事も続けることが一番難しい。

始めることも辞めることも簡単。

ダイエットもスポーツも勉学も新たな趣味も習慣も、始めることは簡単。

向上心を伴って始動することほど継続は困難。

タバコ酒女遊びギャンブル良くないなと思いつつも楽しいからついみたいなことは、逆に止められない。

継続すればするほど堕落していくと分かりつつ止められない。

良いと思うことはほんの少しで満足もしくは疲労してしまうのに、

これは悪いなと思うことほど、いくらやっても満足できない。

気が付くと身についているのは自分にとってマイナスの習慣ばかり。

つくづく自分にとって確かにプラスで向上心を持って始めたことほど続けることは難しいなと。

一日にほんの少しのことでさえ続かない。

愛だ恋だなんてものも、始めるのは簡単で、その為に死ぬなんてことも簡単。そのことのために死ぬなんてことより続けることのほうが実は余程困難。

夢だ希望だなんてものも、抱くのは簡単で、その理想の為に死ぬことも一時の激情に身を委ねれば簡単。でもそれを持ち続けることは困難。

どんなに下らないことでも、それが自分に何らかのプラスをもたらす、向上心を持って始められた事柄を継続してやり続ける人を見ると、本当に感心する。

やめなきゃなってことはいくらでも続けられるのにな。

タバコ、そろそろよさないとな。バカみたいに煙を吸い込んでそれを吐き出して、それで身体には悪い、神経が鈍る(あくまで私感だけど)寝起きが悪い、偏頭痛。何がしたいんだよ。いいことなんて何もない。

良い事を始めないとな、続けないとな。それも惰性じゃなくね。

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「ビリギャル」   2015年 日本  監督 土井裕泰

昨年、原作本も話題になりましたね。

アホだった子が頑張って賢い学校に合格した話。

これ、ギャルが主人公には違いないのだけど、

彼女を指導した塾講師の良いところを見ることに特化した眼、彼女の母親の無償の愛情が素晴らしい。

そして、その素晴らしさをしっかりと感じ取るビリギャル。本当のアホではない。

どれだけ道を外れたように見えても、根底に感謝と愛情を持っていれば、根っこから持っていかれることはないのだろうね。

根はしっかりと家族や応援する人の側に張り、枝葉の部分だけ派手にしていただけ。

基本的には愛情深く、根性があって、信念も強く持てる優れた子だと思うビリギャル。

この作品、ギャルが主人公のちゃらけたコメディかと思って観たら、やられる。

三度ほど涙腺がね。

ギャルだからと見た目で判断してはいけない。

良い意味で裏切られた作品。

善哉。

そう思いました。



















ろまごろすね。

昨日はロマゴン、ゴロフキンの防衛戦がありましたね。



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ライブ放送だったので、狂拳氏と観たのだけど、狂拳氏最近何やら寝不足が続いているらしく、ソファに寝転がり、ウトウトしている。ロマゴンの試合中など、実況の高柳さんが「ミギッ、強烈な右ッ!」とか声高になったときに、ハッと目を覚まし、「ええ右やったな・・」と見てもないのに感想をこぼすみたいな状況。

ゴロフキンの試合なども一ラウンド目を観た時点で興味を失くしたらしく、その後は携帯をいじりながら横目に見ていた。確かにミスマッチとも思える差が両者にあったけど。

ロマゴンはバンタムまでの五階級制覇を目論んでいるらしいけど、Sフライ級くらいでキツくなる気がする。いかんせん身体が小さい。KO率は高いが、飛び抜けたパンチャータイプではなく、旺盛な手数と多彩なコンビネーションが生み出すプレッシャーが身上だと思う。今の階級であれば、八割程度の力でコンビネーションを打てば、相手はプレッシャーを感じ下がってくれるが、今より階級を上げるとどうだろう。もっと一発一発を強振しないと相手を下げられないんじゃないだろうか。そうなると、今のようにスムーズにコンビネーションが打てなくなり、強振の分、当然そこには隙もできるだろうから、今より被弾も増えるんじゃないだろうか。無論、ボクシングスキルに長けたロマゴンのことだから、そうなればまた違う勝ちパターンを構築するかもしれないけど。

ゴロフキンはウィルフレド・ゴメスの打ち立てた17回連続KO防衛なんて悪い冗談みたいな伝説的記録に肉薄してますね。34歳と年齢が少し気になるところですけど、衰えは今のところ微塵も感じさせない。磐石も磐石。問題は対戦相手がいないことくらい。精神的にも緩んだところはなさそう。今の時代のビッグマッチを求める風潮にも流されず、頑なに自分のベストコンディションを第一に考える姿勢はショービジネスの渦中にいながら、求道者そのもの。かっくいいね。

とたまにはボクシングのことも。

大きな地震があって、手放しで「春だっ」なんて浮かれておれないような気分がありますが、

やはり春は何をするにもやりよい良い季節だ。

日頃インドア傾向の極めて強い僕の身中でも、どこかに冬眠していた何かがおごめき出して、

どこか遊びに行きたいななんて柄にもないことを。

そう思いました。



Zあいらんどすね。

夢と希望に満ち溢れた若人たちが、仕事に家庭にくたびれたオヤジや旦那の愚痴を己が身の程も知らず喚き散らすオバハンなんかを見て、ああはなりたくない、終わってんな、うちの親なんかも口を開けば「現実は甘くないんだぞ」とかしか言わねーし、俺はアタシはそういう大人にならない、っつーかなれねぇっしょ?

とか若さという可能性を武器に放言したりする。

しかしこの若人たちも、可能性は手にしているものの、具体的に何かを目指しているでもなく、日々何か楽しいことないかなと漫然と過ごしていたりする。そして日に日に目減りしていく可能性に焦りもあったりする。

そうこうするうち、夢破れ、希望叶わず、現実に噛み付かれた己は、いつか卑下したあの日の大人。ゾンビに見えていた群れの一員。

現実に噛み付かれ、感染し発症した「大人」。

希に今も噛み付かれず、夢と希望の中に生きている同世代がいるが、こちらから見ると、今度はあちらがゾンビに見える。

お互い相手の頭を撃ち抜かなくては。

と思っていたりする。

でもお互い相手をゾンビだと思っているから、噛み付かれたくないと恐れている。

いきおい両者は混ざり合わない。みたいな現象が周りで結構あったりするなぁ。とかね。

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「Zアイランド」  2014年  日本 監督 品川ヒロシ

一人のヤクザを発端に島一つ丸ごとゾンビの島になる。

そこへ遊びに行ってしまった娘を迎えに行く元ヤクザとその仲間。

島に逃げたヤクザを追ってきた現役ヤクザ。

元々島民でゾンビから逃げている若者数人。

さて彼らは無事に島から出られるか。みたいな話。

品川ヒロシは分かりやすく観やすい、笑いもふんだんにありホロリとくる場面もしっかりある飽きのこない作品を撮りますね。

映画は芸術、なんて高尚な概念を持たず、あくまで娯楽、エンターテイメント、楽しませてなんぼでしょ?

みたいな振り切った姿勢が潔くて好感が持てる。分かる人には分かると突き放すのではなく、どう面白い?ダメ?みたいに擦り寄ってくる感じが。

善哉。

そう思いました。















えかきものすね。

見て聞いて取り入れて、それを表に出す。

簡単に思えてこれがとても難しい。

仕事なんかでも、見て聞いて、いざやってみてなんて言われて一回で出来ることなんて余程の麒麟児でもない限りほとんどないんじゃないか。

えっ、あっ、あれ、こうやったかな?あ、うそっ、何か部品取れた、やべっ、どうしよう。なんてことがこれまで幾度あったことか。

頭では完璧に理解しているのだけど、それを眼前に再現表現しようとすると出来ない。

そこが人間の面白いところで、たくさんの人に可能性を与え、また奪う。

絶対音感であるのに、いざ歌う段になると、酒焼けしたオッサンみたいな声しかでなくて、歌っているのか唸っているのか分からない。こういった人もいるだろう。

物凄く頭が良くて、周りの人間が皆、凡下衆愚愚鈍に思える程の人が、物凄く考えて、この投球フォームであれば、理論上180キロのストレートが投げられるだろうと考えついたところで、実際に投げてみると、女投げでキャッチャーまですら届かない。そんなこともあるだろう。

絶対音感?そんなの知らねー。みたいな感じの人に歌わせてみると、とんでもなく上手かったり、細かい話はいいんだよ、これあそこまで投げればいいんだろう?みたいな見るからにガサツで知性の欠片も感じさせぬ男が「えいっ」って投げたら、ちょっとホップするくらいの超速球を投げたり。

感覚と表現力それは密に結びついたものではあるのだろうけど、イコールではない。

当たり前のことだけれど、表現力のある人は、人からその才能を評価されやすい。

だって表に現す能力、表現力。だから目に見えて優れている。

しかし、感覚が優れている人というのは、人から誤解を受けやすい。

感じて覚る、感覚、誰も分からぬ深いところまで感じて覚ってしまうのだけど、それは周りには分からないから、お前の耳が腐ってるんじゃないか?とか鼻の穴に何か異物でも入っているんじゃないか?とか、幻覚じゃないのそれ?とか言われる。

どちらかだけを持っている人はこれ、片輪走行というか、ケンケンというか、もし走りたいスピード出したいと思っているならとても走り難いだろうなと思う。どちらか一方でも持っているなら、それだけでも素晴らしいものだけど。

その点自分はどうだろう。感覚はもうこれ絶望的にない。この間肘を擦りむいたのだけど、その擦り傷に風呂に入るまで気づかなかった。耳は和田アキ子とTUBEの声が聞き分けられない。舌は醤油が掛かっていれば何でも美味い。目はよく人が目にしてわぁ美しいなんていう名勝、風光明媚な景色も、なんだか殺風景だな。なんぞと絶望的な感想を持つ。鼻もオッサンとオバはんの匂いをかろうじて嗅ぎ分けられる程度の嗅覚しかない。

表現力もかなり覚束無いもので、仕事はすぐに覚えられない。いや覚えていることもあるのだけど、それをそのまま出来ない、絵を描かせれば写楽を模写したのにピカソと言われる。料理を作らせれば、年寄りや体の弱った人ならそれを食べたことが直接の死因になるんじゃないかというくらいの鬼塩分。歌を歌わせれば、顔と声が何か結びつかないとか言われる。文章を書かせれば、ここを以前から覗いてくれている人ならばもうとっくにお分かりかと思うが、何が書きたいのか分からない。

そう。今も分からない。才能って言葉に要素として包含されるであろう、感覚と表現力。

それの話をしたかった。それだけなのに、だけなのに。

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「ビッグアイズ」   2014年 アメリカ  監督 ティム・バートン

ティム・バートンなので、ぶっ飛んだ世界観を覚悟して観たのですけど、実話ベースとのことで、奇妙な生き物や人間などは出てきませんでした。

では、つまらなかったかといえばそうではなく、期待はずれでもなく、

非常に興味深い物語でしたんですね。

絵の上手い妻と、口の達者な旦那、一躍時代のスターダムにのし上がるが、

口の達者な人の弊で、彼の言っていることは嘘ばかり。

遂には絵かきの妻と対立。裁判。

彼なくして彼女の名声はなかった。

しかし、調子に乗りすぎた。もっと上手くやれただろうに。

というのは結果論。当事者でもない外野の野次。

善哉。


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「百日紅 Miss HOKUSAI」  2015年 日本  監督 原恵一

葛飾北斎の娘が主人公。

良い絵を描きたい。

その一心で己の知らぬ感覚を掴みとろうと足掻く様は、表現を志すものであれば誰しも感じる欠乏感なのかな。

技量は足りていても、感覚が足りぬ。

感覚がとらえていても、技量が追いつかない。

日常にもたくさんあるよね、こういうこと。とか思ったり。

善哉。

そう思いました。


















はかせものすね。

人間は皆平等だ。

というのは、どうだろう?長く生きていればいるほど、そうではない気がして、たまにこの言葉を目をキラキラさせて言う人など見ると、芯からのバカか、偽善者に見える。

が、それは僕が捉えている世の中の基準に照らし合わせただけの狭い了見で、例えば、この世界を創った皆が神様とか呼ぶ存在からすれば、皆平等に生まれているのかもしれない。

社会で生きていく上で重要なスペック、頭脳容姿体力、平和な国に生まれる、富んだ家庭に生まれる、そういう持っていたらば、皆がうらやむようなものには、明らかに差がある。しかし、人間それだけではない。ということもこの年まで生きると身を持って知る。

先天的なものに関しては、これどうしようもないけど、後天的なものに関しては努力である程度手に入る。

しかし、先天的にそれらを持ち合わせた人は、努力、時間を使わずにそれを持っているのだから、努力に努力を重ねようやくそれを持った時点でスタートの後天的はやはりハンデを負っているようにも思う。

よくロールプレイングゲームなどにあるキャラを決めたあとに、持ち点の100をいろいろな能力に振り分けて冒険をスタート。みたいな設定。

あれと同じことが人間にもあって、生まれる時点で持ち点をゲームよりはもちろん複雑で多岐に渡る項目に振り分けていたりすることはないだろうかな。で、いろいろ総合すると皆始めの持ち点は100点。

平等。

ただ振り分けた記憶もなければ、これから生きる世界のことなど全くわからない時点での振り分けだから、どうでもいいような項目にたくさん点数使っちゃって、肝心の頭脳、容姿、体力、運の要素を含むものに振り分けなかった。なんてことだったり。

という想像を、この間どこからか僕の離婚を聞きつけたバツイチシングルマザーと会って話したときにずっと考えていた。というのも、約15年ぶりに見るその人の顔がね。すごく変わってたんですね。…整形・・か?しかもこれプチなんてレベルじゃねーぞ…後天的な努力と言えないこともないけど、それはどうなんだろう?何だか哀しいなぁ。人間って哀しい生き物だなぁ。なんてことをね。

何が哀しいのか?この時の会話はたくさんの示唆を含んでいたので、またの機会に改めてしますが、

世の人が羨むものを全て手に入れても、それがそのままその人の幸せに直結しない。

じゃあそれは何処に?それが見えないところに人生の底知れなさ、奥深さ、神様なんてものの存在する余地なんかがあるのかな。なんてことを。

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「博士と彼女のセオリー」   2014年  アメリカ  監督 ジェームズ・マーシュ

物理学者スティーブン・ホーキング博士と、その妻ジェーンのお話。

世界的に著名な博士であるから、当然博士目線の作品かと思いきや、

これジェーン寄りのお話なんですね。

彼女の書いた自伝が原作らしいということを聞き納得。

しかし、ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの素晴らしさよ。

最近全然人の名前を覚えられないんですが、

彼だけは覚えておこうと思いましたよ、来月くらいには忘れているかもしれないけど。

飛び抜けた頭脳。しかし身体には日常生活にすら人の手を必要とするほどの重病。

人生は楽じゃない。

善哉。


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「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」  2014年 アメリカ  監督 モルテン・ティルドゥム

これまた頭良い人の話で、第二次世界大戦時、ドイツのめちゃムズ暗号「エニグマ」とかいうのを解いちゃったチューリングって人の話。

この暗号解読によって救われた人命は試算で1400万人らしい。

すんごいね。

しかも、現在皆が使っているコンピュータの基礎も作っちゃったらしい。

衆に秀でた頭脳の中でもさらに秀でた頭脳。

しかし、精神的に欠落した部分、ホモセクシャル(当時のイギリスでは同性愛は有罪)、などがあり日常を平穏に送ることはできなかったらしい。

そして、ネタバレだけど、最後は自死。

本当に人生とは、上手くいかないものだ。

兎角に人の世は住みにくい。

善哉。

そう思いました。









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